大河ドラマ「青天を衝け」。感想です。
第二十回 篤太夫、青天の霹靂
あらすじ
一橋家の財政建て直しに、己の居場所を見つけた篤太夫(吉沢亮)だったが、情勢は変わろうとしていた。
将軍・家茂(磯村勇斗)が倒れる。ようやく目通りがかなった慶喜であったが、家茂はもう事切れる寸前だった。あなたと一度腹を割って話したかったと言い残すのだった。
その3日後、将軍家茂は亡くなる。
その知らせは、篤太夫の元にも届く。世継ぎがいなかった家茂。次の将軍に慶喜がなるやもしれぬと話が出てくるのだった。
大阪へ向かおうとする慶喜(草彅剛)を前に、篤太夫は建白を申し立てる。決して、将軍になってはならぬと。どうか、一橋に残って、貴方様を支えさせてくださいと懇願する。
和宮は、次期将軍は慶喜にと生前に聞いていたが、天璋院(上白石萌音)はこれを明らかにせず。
そんな中、慶喜には次期将軍への心を決めるように迫られていた。慶喜は、もし将軍となったならば、大鉈を振るう事になるがよいのだなと念を押すのだった。
後日、慶喜は徳川宗家を継ぐ事となる。そして孝明天皇より、あらためて長州征伐を直に懇願されるのった。
江戸では、宗家を継ぐ事なり、となれば長州攻めをするのは、我が家と大坂へ向かう準備が始まる。篤太夫は、形見にと懐刀を千代(橋本愛)へ送る。
小倉城が落とされ、幕府軍は敗走する事となる。慶喜は、もはやこの戦いは天子様以外望まれていないと、和睦の勅命をくださるように関白へ頼む。さらに、長州へも勝麟太郎が密使として送られる。
孝明天皇(尾上右近)は国を閉ざすことも、長州を征伐する事も叶わずと嘆いていた。そんな中、岩倉はどうしていると問うのだった。
その岩倉具視(山内圭哉)は、大久保一蔵(石丸幹二)と会談。薩摩も長州も天子様を支える国を作りたいと考えていると話すのだ。
篤太夫や成一郎は、御家人として一橋家を出ることとなる。もう、ここを出れば殿は上様だとし、直接建言する事は叶わぬだろうと泣き出すのだった。
篤太夫と成一郎は、幕府陸軍奉行所で書記官を務める事となる、しかし慶喜が遠い存在になりまた嘆くのだった。そんなこんなでなぜか、篤太夫と成一郎は喧嘩となってしまう。
京都奉行所より、謀反人が出たとして、捉えるように命が下る。 新選組副長 土方歳三(町田啓太)とともに、捕縛へと向かうのだった。護衛ついた新選組に対し、まずは自らが嫌疑を確かめると申し出るのだった。
大沢源次郎宅へ捕縛へ向かう篤太夫だが、取り囲まれてしまう。懸命に刀を取る篤太夫だったが追い込まれる。そこへ土方らが乗り込んでくる。 助けられた形の篤太夫だったが、こんなものは代官が直にきて大沢を審議すればいいんだと言い捨てる。
あれほど嫌いだった幕吏になってしまうとはとまた嘆くのだった。不審に思った土方だったが、元は百姓だったという篤太夫。 土方もまた百姓ので、多摩の出だった。この道に進んだ事に後悔はないはするが。この命を日の本に捧げるという土方。 篤太夫もまた、迷ってばかりだが、日の本を守りたいという気持ちは誰にも負けないと返すのだった。
小栗忠順(武田真治)、一橋慶喜が将軍になる事は避けられぬと嘆いていた。 しかし、パリ万博へ誰を向かわせるか決めねばならず。慶喜に誰を送るか文を送るのだった。 慶喜は渋沢がどうしているな気になっていた。
感想
篤太夫・渋沢栄一として、ようやく居場所を見つけたかに思えたんですが、この幕末の世は安住の地を許してくれませんでしたね。将軍・家茂の死から、怒涛の如くに、慶喜の徳川宗家相続。事実上の次期将軍内定という事になりましたから。
徳田遊も一橋家家臣から幕臣となりました。一橋家で本来やりたかった事が出来なかったのは、篤太夫も成一郎も同じなんですが、これまた随分と思いが違うもの。円四郎に巡り合って、一橋家に仕えたものの、将軍家家臣となるつもりはなかったのですからね。
しかし、なぜか唐突に土方歳三との邂逅。渋沢とは、年代的にかぶっており、多摩出身の土方と、血洗島の渋沢で、郷里も近い。打ち解けたとしても不思議ではないわけですね。年齢的には、土方歳三の方が少し下になりますか。篤太夫はあくまで生きる道を探りますが、土方は命を捧げてという間逆な路線です。おそらく、この後、2人が再会する事はなかったでしょう。
そして、次回。いよいよパリ万博へ。このとき、パリへ行っていた事が、栄一の運命を大きく左右しますね。幕臣でありながらも幕末の動乱とは別のところに居たわけです。将軍だった慶喜は、大政奉還。新政府軍から謹慎の身となってしまいます。おおきく時代が動く日本に、その時渋沢はいなかった