大河ドラマ「真田丸」の第34回の感想です。
第34回 「挙兵」
あらすじ
家康襲撃が未遂に終わった三成(山本耕史)だったが、謹慎処分となっていた。
信繁(堺雅人)は、石田屋敷を訪れていた。宇喜多秀家らが、三成謹慎をとこうと動いていると説明する。
自分がいなければ、政が滞るとし、そろそろ動いている頃だろうと言う三成だった。
その後、前田利家(小林勝也)が家康(内野聖陽)の屋敷を訪れて、三成の処遇について話した。
家康は、水に流すとして、三成の謹慎は解かれる事となった。
前田屋敷に、福島正則(深水元基)、加藤清正(新井浩文)が集まっていた。
利家は、これ以上三成と事を荒立てるなとする。もう、自分も長くないという利家。
三成と力を合わせて、豊臣の家を守りぬけと託すのだった。
三成は、寧の下を訪れて、事件の事を謝る。寧は、仲良くしてほしいだけだとする。
その場を後にした三成を尻目に、信繁に話しだす寧。面倒な事に巻き込まれるのはごめんだとし、
秀頼の婚儀が整ったら出家するのだという。
きり(長澤まさみ)を暇に出すことにしたとし、細川の屋敷に奉公に出すことにしたという。
不穏な空気があるとして、上田に帰るよう説得する信繁だったが、きりは気にしない様子だった。
三成はさらに、桃の木を持参して、茶々(竹内結子)の元も訪れていた。そして決して、家康は信じてはいけないと。
前田利家が亡くなり、反三成派の歯止めが効かなくなる。三成を成敗すべく、挙兵するのだった。
忠興は、戦支度をするとする。ガラシャ(橋本マナミ)から話を聞いたきりは、信繁たちにこれを伝える。
攻めてくるのは、加藤、福島、細川、黒田、藤堂、蜂須賀、浅野だと。
三成に逃げてくれるように頼む信繁。火をつけられては、持ちだしていた秀吉に関わる文書が灰になるとする三成。
信繁は、信幸(大泉洋)を呼び出していた。蔵に、文書を運び出す事とした。
いよいよ攻め込んできた、反三成派。信繁と信幸は将棋くずしに興じるふりをするのだった。
信幸は、三成とのいざこざはうちわの揉め事で済むが、真田と一戦交えるとならば、国同士の戦である。それは覚悟の上かと問いただすのだった。
これで、その場を離れる事となった清正らだった。だが、その場に残った後藤又兵衛(哀川翔)だけがちょっかいを出すのだった。
のちに大坂の陣で、信繁と共に名を残した後藤又兵衛だったが、このときは黒田長政の家臣だった。
宇喜多秀家(高橋和也)の屋敷に身を寄せていた三成。冶部少輔丸に立てこもる事とした。秀吉が築いた城ならば攻め込んではこないだろうと。
信繁は、乗り込んできた正則らの相手をする事となった。三成を差し出せとする正則だったが、信繁は何をするのかと問う。腹を切らせるという正則に、何のとがでと聞き返すのだった。
清正は、秀吉亡きあと我がものとしようとし、家康を殺そうとした大罪人だとする。
信繁は寧や茶々の下を尋ねる。秀頼の命ならば清正らも諦めるだろうとする信繁だったが、茶々は家康と三成は犬猿の中だとし、秀頼が板挟みになりませんかと問うのだった。口ごもってしまう信繁は、帰されるのだった。
信繁は、吉継(片岡愛之助)の下を尋ねる。こうなっては頼れるのは一人だけと。信繁は、家康の下を尋ねて、
清正たちを沈めてもらいたいと頼み込むのだった。家康は、一人では決められぬす、老衆と奉行衆を集めねばとうそぶくのだった。
家康は、どうしたものかと考える。正信(近藤正臣)は、いっそ事をおこしたものを全て処分してしまえばとするが。加藤、福島あたりはまだ使いみちがありそうだとし、これを引き止める。
福島ら反三成派の前に現れた家康。君側の奸、三成討伐の事に礼をいう。結局、家康の説得も有り、清正らは手を引くこととなったのだ。
正信は、引き換えに、三成は蟄居となり、政からは手をひいてもらう事とするとなった。
信繁は三成を説得する事とする。まずは、従って事を沈めようと。
三成は、なにゆえここまで豊臣に尽くした自分が伏見を追われねばならぬのだと、涙を流すのだった。信繁は、秀吉は三成が豊臣の為に尽くしているのを見ているいい慰めるのだった。三成 は、清正に会いたいと信繁に頼み込むのだった。
三成の元に、正式に蟄居の沙汰が下る。その場には、加藤清正も居合わせていた。三成は清正を呼び寄せて、何やら耳打ちをするのだった。
今生の別れだと信繁にいい、三成は佐ノ山へ向かうのだった。
家康は、三成が去った後に、伏見城に入城する。信繁は、家康の元に呼び出される。これから、どうするつもりだと問われるのだった。
家康は、自分の元で働かぬかと説得する。徳川に仕えよと言うのだった。しかし、信繁はあっさりと断ってしまう。
なにゆえと問う家康に、三成は己が身をかえりみる事がなく、だれよりも豊臣家に尽くしてきたとし、それでも家康の下では務める事ができなかったと。
それなのに、どうして自分が努める事ができるのだと、信繁は言い切るのだった。
信繁は、なぜか秀頼と茶々の元に呼び出されて、三成が持ってきた桃の木の世話をさせられる。
正直、三成の事は嫌いだったという茶々。何を考えているかわからないというのだ。
だが、信繁は、一度心を開けば、あれほどわかりやすい方はいないと言うのだった。
それより1年、家康は大坂城に移っていた。
会津に戻っていた、上杉景勝が謀反の疑いが生じた事だった。景勝は、家康に寄る上洛の命を断る。
直江兼続による痛烈な家康の批判の書状を送っていた。直江状により、家康は上杉景勝に激怒するのだった。
上田では、昌幸の元に、信幸、信繁が集まっていた。この期に及んで、上杉と戦う事になるとはと。
だが、昌幸のもとには、上杉から密書が届いていた。上杉に味方せぬかと。力を合わせて徳川を倒そうと。
昌幸は、これに乗ることにしたという。横合いからいきなり家康本陣を攻めるのだと。
しかし、信繁は徳川を倒したあとどうするのかと尋ねるのだった。昌幸は、世は再び乱れるとし、それに乗じて甲斐、信濃、駿河、信玄公が治めていた土地を奪い返すと言うのだ。
小田原の陣で死を覚悟した、北条氏政に言ったという。死ぬなら死ねばいいと、生きていればまだまだ楽しい事がおこると。
これが最後の機会だとし、わがままをきいてくれと頼み込む昌幸だった。信繁はこれに従うとし、信幸も従う事となった。
その夜、信繁は、本当にそれでいいのかと信幸に問う。
舅殿とは敵味方になってしまうが仕方がないと。信幸は問う。徳川がいなくなれば、また乱世に戻るのかと。
上杉は、豊臣代わって天下を治めるつもりはないと言う信繁。なんとかなるという信繁。
宇喜多秀家がいるとし、大谷吉継も、そして秀頼も聡明だと。父・昌幸が言うような乱世にはならぬという。
なぜ、父を欺くと問う信幸に、上杉を勝たせるためだという信繁。
上杉討伐の日取りが決まったとする家康。秀頼の命という形をとって触れを出すという。
だが、且元(小林隆)は、これはあくまで徳川と上杉のいさかいとし、秀頼の名前を出すのは控えてもらいたいとする。
徳川は老衆の筆頭とし、徳川に背くは豊臣を愚弄するものだとする。
だが、且元は、上杉は秀吉の信頼もあつく、秀頼が最も頼りとする老衆だと言い返すのだった。豊臣家が上杉を討つ言われはないとし、秀頼の名を出すのはやめてもらいたいとする。
家康は、茶々の下を尋ねる。秀頼の名は出さぬとい諌められるのだが。
陣中見舞いなどを賜れば士気もあがるだろうと家康は言い出す。軍資金2万両、秤量2万石を出してもらえればとするのだった。
さらに、豊臣の旗も貸してもらえれば、さらに士気もあがるだろうとするのだった。
家康は、豊臣の旗を借り受け、会津へと進軍を開始した。
この頃、大坂城では、宇喜多秀家らが集まり、家康を弾劾すべきときがきたと決起するのだった。
だが、これを裏で糸を引いていたのは、石田三成だった。
感想
追い詰められる三成。清正らが三成を襲撃するという事件となります。これは、家康が間に入って止めたという事になってますが、三成にとっては屈辱だったでしょう。
加藤清正や福島正則の姿は見れるものの、黒田長政が誰なのかははっきりしません。ただ、のちに再登場する、後藤又兵衛だけが登場する事になりました。
ここまで来ても三成は、相変わらず強気なのですね。どうやっても家康を倒したいという一心のように見えます。これも、あの秀吉の遺言によるものなのでしょうか!?最後に、清正に耳打ちしたのは何だったのかが気になりますね。
三成が蟄居となり、信繁たちは一度は真田の家としてまとまります。ただ、言葉とは裏腹に、それぞれに想いがあっての行動のようで、昌幸が思った通りにはなりませんね。昌幸は、戦の中でこそ生きる人なのは変わらないですね。息子たちは、乱世の世は来ないと思っているのに。
そして、いよいよ関ヶ原の戦いが間近となってきました。直江状がこのような形で登場するとは。上杉討伐に向かった家康の背後を襲うという手はずだった三成。強気な三成がまたも裏目に出てしまうのが目に浮かんでしまいます
次回は、真田家の苦悩の日となりそうです。信繁と信幸兄弟は敵と味方に別れる事になるわけです。