大河ドラマ「真田丸」の第22回の感想です。
第22回 「裁定」
あらすじ
北条と真田の沼田城を巡る審議が開始される。
江雪斎(山西惇)は、沼田は御方の乱の際に、北条が奪い取ったものだとし、沼田は北条のものだとする。
信繁(堺雅人)は、その後沼田城は、武田の支配下にあり織田に渡るまでは武田のものであったと言い、なぜ北条のものといいはるのかわからないという。
秀吉(小日向文世)は、実に面白いといい、沼田城は誰が気づいたのかと問う。
片桐且元(小林隆)は、国衆の沼田顕泰が築いたものだといい、上杉方だったという。その後、家臣に騒動がおこり、北条方と真っ二つに割れたが、それを鎮めたのが上杉謙信だったという。
沼田がそれほどに大事なのかと秀吉が問う。
片桐は、沼田は越後と上野の境にあり、絶壁城にあり、守るに易し攻めるに難し。
江雪斎は、どちらが先に城を有していたか大事であり、とすれば北条のものである事は明白と説く。
信繁は、どちらが先かは意味のない事だといい、それを言うなら上杉に返さねばならぬと説くのだった。
これには秀吉も一本と唸る。
信繁は続ける。沼田はかつて、上杉、北条、真田が三つ巴で争っていた場所。そこへ織田が現れ、横から城を奪い去った。大事なのは、その織田から誰が奪い返したかではないかと問う。
それならば北条だと江雪斎はいう。織田を追い払ったのは北条だと。
信繁は、織田を追い払ったのは北条だが、沼田城は真田が自力で勝ち取った城だという。
江雪斎は、勝ち取ったというが、本能寺の変にまぎれてかすめ取っただけだと責める。
それは言いすぎだという信繁に対して、江雪斎は当時真田は、織田の家臣・滝川一益の下についていた。つまりは、主人の滝川を裏切り騙しとったのだとする。
信繁は、それに対して、その通り、だまし取り、かすめ取り、勝ち取ったのだと開き直る。
実に面白いの秀吉は喜ぶが、ここで一旦休憩となる。
隠れて聴いていた昌幸(草刈正雄)のところへ行く信繁。今のところ互角だという昌幸。
相手の誘いに乗ってしまったという信繁だが、昌幸はまさしく、だまし取って、かすめ取ったのだといい、正直に言っただけだとする。
まだ、徳川は何も喋っていないといい、どういう立場をとるつもりなのか、面白くなってきたというのだった。
休んでいた信繁のところへ、江雪斎が近寄る。江雪斎は、これは戦だと思うといい、戦は勝たなくては意味が無いと。容赦はせぬと。
だが、江雪斎は、我らがやりあう事で、まことの戦はせずに済むとも言うのだった。
審議が再開する。
三成(山本耕史)は、本多正信(近藤正臣) に対し天正10年、徳川と北条の間に盟約が結ばれているとし、その経緯は問う。
正信を遮って、江雪斎が喋り始める。当時、北条と徳川は長らく戦が続いていたと。なかなか勝敗がつかず、これ以上の争いは互いに損と、当方より和睦を持ちかけた次第だという。その際に、当時配下だった真田の沼田城を、北条に引き渡すと取り決めたのだという。
さらに、起請文を証拠として持参したと言い、それを見せるのだった。
正信はおおむねはあっているとする。信繁は、天正10年、その年に真田も徳川と盟約を結んでいるという。徳川は真田に対して、沼田の安堵を約束しているとする。未来永劫、沼田は真田のものだと徳川が言ったとし、起請文を取り出すのだった。
秀吉は、つまり徳川は真田と北条の両方に沼田を渡すと約束してしまった。ならば、徳川が、真田と北条にとりつけた約束、どちらが効いているのか吟味すればいいのだとする。秀吉は、この場を秀次(新納慎也)にまかせて去ってしまう。
秀次は、筋道はみえたとし、徳川が北条と真田に交わした約束、どちらがなおと言いかけたところで、江雪斎が口を挟む。
徳川と真田は主従であると言い、親が息子にしたようなものだとし、徳川と北条の約束は国と国の盟約だとし、どちらを重んずるかは明らかだろうとする。
信繁は、起請文に記された日付は、真田の方がひとつき早いとする。どちらが重んずるかは明らかだろうと言い返す。
約束にも格があるとする、江雪斎に信繁は、大名と大名が交わした約束も、親と子が交わした約束も重さに変わりはないと返すのだった。赤子でもわかる理屈だとする。
それに対して、江雪斎は、徳川は真田との約束があるにもかかわらず、赤子でもわかる理屈をないがしろにし、再び北条と盟約をかわしたと。
徳川を嘘つき呼ばわりするのかと言い返す。二枚舌の卑劣漢と罵るのかとまくし立てる。
ここにきて、正信が口をはさむ。話が主三河守がそのような事を申すはずがないという。そもそも、沼田を譲り渡すきはないと言い出すのだった。
北条に言ったのは、「奪い取るなら好きにせよ」という事。起請文にもそう書かれていると言う。実際に、起請文にも手柄次第と書いてあるのだった。
江雪斎は、それは解釈しだいではと言い出し、いつでも好きなときに受け取ればいいと言うが、正信は苦しい言い分だとする。
秀次は、江雪斎に言う。「譲り渡す」にせよ、「奪い取る」にせよ、それは沼田城が真田の城である事を暗に認めてはいないかと問いただす。
元々北条のものであるなら、「取り返す」「奪い返す」とするだろうと。これは何より、北条は沼田は真田のものと思っている証拠だと言うのだった。
「語るに落ちる」とはこの事と江雪斎を言い含める。
ここまでだなと秀次はいい、三成は双方の言い分は聞き尽くしたとし、のちほど秀吉から裁きがあるとした。
信繁は、正信のところに礼を述べるのだった。
礼を言われるような事はしていないという正信。ありのままを言うただけだと。
黙っている事もできたはずという信繁に、必死で戦っている若者を見たら、手を差し伸べてやるのが年寄りというものだというのだった。
昌幸は、よくやったとし、勝ち戦だとする。これで、北条も沼田からは手を引きだろうと。
そこへ三成が現れる。昌幸がいることは知られていたのだった。三成は、信繁のせいで算段が狂ったという。
三成はこれでは困るのだという。秀吉にとって大事なのは、北条を上洛させること。すんなり沼田をわたしてもよかったのだと。
それでは真田の立場がないと思い、今日の場を作ったのだと。
昌幸に折れてくれるように頼む三成だが、昌幸はあっさりと断るのだった。
三成は、そうすれば戦になるという。真田と北条だけではすまぬ、日の本を巻き込んだ大戦となるのは必定だと。
沼田が火種になるのだとし、理不尽なのは承知の上で、頼み込むのだった。
信繁は、沼田は引きわたしましょうと、昌幸に進言する。三成は、沼田と同じだけの領土を引き渡すように、徳川と掛け合うつもりだという。
昌幸は、沼田に代わる土地などないとし、いらぬ心遣いだと。しかし、一つだけ頼みがあるといい、沼田の外れにある、名胡桃は真田の代々の墓があるとし、そこだけは引き渡すわけには行かぬという。
信繁は、名胡桃に先祖の墓があるとは知らないと問いただすと、昌幸は出任せだといい、何か言ってやらぬと悔しくてとな。
これで、名胡桃は残ったとし、あの城からは沼田が丸見えだと。
裁定が下る。
沼田領のうち、沼田城を含む3分の2を北条の、名胡桃城を含む残りを真田のものとする事となった。
氏政(高嶋政伸)のところに戻った江雪斎だったが、氏政は名胡桃が真田のところに残っては戦のときに丸見えだとする。
だが、江雪斎は、秀吉が沼田をくれたとし、京へいきましょうと言うのだった。
氏政は、氏直(細田善彦)に対して、沼田の回りに兵を置くように命ずる。それに対して、江雪斎は、城の受け渡しのさいに兵を2000以上おいてはならぬと秀吉に言われているとする。
それを聞いた、氏政は、2万の兵を用意するように命ずるのだった。
秀吉は、これを聞いて戦をするのかと思ったが、三成はそれはないと言うのだった。
氏政が、裁定が気に入らずに攻め込むのではと踏んでいたのだった。
沼田城では、信幸(大泉洋)が頼み込み、沼田城を引き渡すように頼み込んでいた。
だが、矢沢頼綱は、頑として動こうとしない。強引に運びこんで、事を収めるのだった。
これで、沼田城が引き渡されて事は収まるはずだった。
だが、北条が名胡桃城を奪い取ってしまうのだった。躊躇していた信幸に、たまたま居合わせていた本多忠勝(藤岡弘、)が加勢すると申し出る。
しかし、口を挟まないでくれてお断る。稲のところへ戻ってくれと。ここは真田の軍議の場であるとし、徳川の家来である忠勝はすみやからにもどってくれと突き放すのだった。
まずは、京にいる昌幸に知らせるよう佐助(藤井隆)に頼む信幸。
名胡桃城を奪いとった事を危惧する江雪斎だが、氏政はこれは北条と真田のいさかいだと気にもとめぬだった。
名胡桃城の事を聞いた、昌幸は悔しがる。すぐに、攻めこむように信幸に下知をだそうとするが、信繁が止める。
勝手に動けば、秀吉から処罰を受けるだろうと。
秀吉のもとに、名胡桃城奪還の許しを乞うためやってきた昌幸。
しかし、秀吉は、名胡桃城事は自分に任せてくれないかと切りだす。
秀吉は、これで北条攻めだなとするが、三成は今一度文をだし、名胡桃を返し上洛するように促すと言うのだった。
昌幸は、攻めこむ事も出来ずに手をこまねいているだけとはと嘆く。なんとために秀吉に下ったのだと。
出浦昌相(寺島進)は、聚楽亭は東が手薄だといい、攻め落とせると言うのだった。
信繁は、あれほど悔しがっている父は見たことがないと佐助に言うのだった。さぞ、無念であろうと。
秀吉よりの文に対して、なぜ口をだすのかと氏政は怒り心頭であった。子供の喧嘩に親が出てくるようで見苦しいと。
江雪斎は、攻めたくてうずうずしているのだと。ここは従うべきだと。
秀吉はいよいよ北条征伐だとい、戦支度をさせるのであった。三成や、信繁の説得にも耳をかさないのだった。
秀吉は、散々、救いの手を差し伸ばしてきたのだ、それを氏政が拒んだのだと。見たこともない大群で、北条の度肝を抜いてやると。
戦になってしまったという信繁に対して、三成は戦が始まるときはいつもこうだという。暴れ牛のように誰も止める事が出来ぬのだと。
秀吉からの文を受け取った氏政は、秀吉が攻めてくる事を知る。しかし、小田原城があれば負けはしないと言うのだった。
上杉、徳川、真田に加えて、中国、四国、九州の大名も。見たこともない大軍勢がやってくると、氏直(細田善彦)は怖気づく。
氏政は、伊達との盟約があるとする。さらに、江雪斎に、駿府に行くように命じるのだった。徳川だけは押さえるようにと。
秀吉は、あっという間に、空前の大軍勢をまとめ上げる。
駿府にやってきた江雪斎だったが、家康とは目通り出来ず。
この期に及んで北条につくわけがないと家康はいい、江雪斎は追い返される事になる。
感想
信繁と江雪斎による評定は実に面白かったですね。まさに、あー言えばこー言う。江雪斎の弁論に、信繁も一歩も譲らず。最終的には、正信をも味方に付けて江雪斎を黙らせてしまった。
戦国の世に、この様な評定があったとは思えませんが、言葉による戦もまた一興でした。しかし、真田は案外危なかったようにも思います。
このまま、沼田が真田のものになっていたとしても事は変わらなかったかも知れません。だが、名胡桃を真田の領地として残した事が事件の発端となってしまいます。名胡桃城を奪われた、真田の方が痛手であったのでしょうが、最終的には北条の方が滅亡へと突き進む序章となってしまいました。
実際問題、秀吉は氏政にチャンスを与えていた訳ですが、大群で北条を討滅してしまうのが手っ取り早いとも踏んでいたのでしょう。最早、関東、奥州いがいの大名は秀吉に降っていたわけですから。
小田原城があれば、守り切れると踏んでいた氏政でしたが、徳川も最早味方に引き入れる事は出来ず。頼みの綱の伊達も動きません。ここから北条は滅んでしまうわけです。
今回、北条のために、粉骨砕身弁論で押し込んでいた江雪斎でしたが、最後は少し気の毒な感じになってしまいました。ただし、彼だけは北条が滅んだ後も生き延びる事になります。
次回は、いよいよ小田原征伐が始まる事になります。さて、