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東日本大震災から5年 あの日の事

2011.03.09

東日本大震災から5年が経ちました。今日も、14時46分に黙祷を捧げました。

今年は、震災が起こった年と同じく金曜日が3月11日でした。そのせいか、あの時と同じ感覚が蘇ってきて、少しそわそわしてしまいました。

震災から5年が経つというのに、未だに仮設暮らしの人が沢山いるという状況で、予想以上に復興が進んでいないのかなという気もします。

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あの日、起こった事を順に振り返ってみたいと思います。

関東でも大きな揺れでした。ビルの8Fだったので、大きくゆらゆら揺れてかなり長く感じたのを思えています。

正直なところ、この頃はまだ、この自身の本当の恐ろしさをまだわかっていなかったように思います。まだ、首都圏での話題は地震の揺れにまつわる様々な被害が出始めていた頃でした。

実際問題、仕事している場合じゃなかったのですが、仕事でもしていないと気が紛れないという心境でもありました。帰れる人は順次帰宅していっていましたが、電車も止まっていたので帰る事は既に諦めていたと思います。

数日間は、ずっと強めの余震が続いていました。特に震災当日から夜にかけては、しょっちゅう揺れていたので、感覚がかなりおかしくなっていました。

近場のビジネスホテルでも探そうかと思っていたのですが、丁度金曜日だったからか、地震のせいなのかはわかりませんが空室はない状況だったので、満喫泊を考えていたところでした。

ただ、あの状況だったので、満喫もどうだったかはわかりませんね。職場よりは寝やすいかなとは思いましたが。

メールが混雑していましたが、ようやくメールが届き始めた頃でした。青森県、特に津軽半島側の揺れは関東よりも小さいくらいでしたが、大規模な停電が起こっていたようでした。寒さは、石油ストーブがあるでしょうが、暗いのはいかんともし難いですね。

この頃、この地震の本当の怖さが分かり始めてきた頃でした。かなり衝撃的でしたが、実際にはこれが東北地方の各沿岸でおこっていたというのを知るのは、少し後になってからでした。

かつて自分が住んでいた仙台で何が起こっているのか!?非常に心配で仕方がありませんでした。

仙台でのニュースをみて心配になっていた頃です。おそらく、仙台が一番最初にニュースとして伝わりやすかったという事だったのでしょう。これはまだまだ悲劇の序章に過ぎなかったんですから。

夜になってもひっきりなしに地震が起こっていました。

首都圏は、液状化による被害もでていましたが、自宅はまったく問題がありませんでした。ガスは自動で止まっていたようでしたが、電気は止まっていなかったので助かりました。

深夜になって私鉄各線が動き始めていました。もう、帰る気がなかったというのもありましたが、一応運転状況はみていました。

仙台でのニュースから、続々と各地の被害状況が伝わってきた頃でした。気仙沼では津波によって運ばれてきた船により火災もおきていました。この頃、サンドウィッチマンの2人も気仙沼にいたのですよね。

この時、まだガラケーだったのですが、iPod touchがかなり役にたっていました。しかし、この日に限って充電ケーブルなどをもってきていなかったのでした。幸い、家に帰るまで充電はもったのですが、これ以降モバイルバッテリーの必要性も感じました。

体力温存も考えて、とりあえず寝ようと思っていたのですが、なかなか寝れませんでした。椅子を並べて寝るにしろ、寝心地は悪いですし。

結局、寝れなくてネットニュースを見ていました。辛いニュースばかりが入ってきました。

とりあえず、がんばって寝る事にしました。結局3時間くらい横になっていた気がいますが、ほとんど眠れなかったと思います。

翌朝以降の移動記録は以前に残していました。

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