大河ドラマ「軍師官兵衛」の第50話(最終回)の感想です。
第50回 「乱世ここに終わる」
あらすじ
黒田如水(岡田准一)が九州を制圧していっていた頃、関が原では天下分け目の戦いが始まっていた。
日和見をしていた小早川秀秋の陣に家康方から、大筒が打ち込まれる。これに恐れをなした秀秋は徳川方に味方をし、一気に情勢は徳川方に流れるのだった。
数日後、九州では徐水が九州の大半を攻め落としていた。そこに大阪より報せが届く。なんと、関が原の合戦はわずか1日で終了していた。徐水の目論みははずれ、天下取りの夢は破れたのでした。
徳川家康(寺尾聰)は大阪城に入場し、石田三成(田中圭)を豊臣の逆賊として処罰する事を決定する。
黒田長政(松坂桃季)は、捕らえられた安国寺恵瓊、小西行成、石田三成と対面する。かつての遺恨は水に流そうと陣羽織をかけるのだった。
だが、今更哀れみは無用と言う三成。「我が思い如水殿だけはわかってくれる」と言い残す。
石田三成は後日処刑されるのだった。
長政には恩賞として筑前52万石が与えられる事となった。
九州7ヶ国を占領していた如水だったが、それを放棄し中津城へ戻っていた。
長政が戻り、筑前への加増転封を如水に報告する。
長政は、家康が自らの手をとって武功を褒めてくれたと言うのだったが、如水は、「その時お前の左手はどうしておった」と問うのだった。
それは、余った手で家康を刺せば如水の天下となっていたかもという事であった。
如水は後日、大阪城にて家康に謁見する。
家康は、如水の九州での働きに畿内に所領を与えるというが、如水は正直に九州にて天下を夢見たと告げるのだった。我らの間に建前は不要だと。
如水は、家康に問いただす。この後、どのような世を作り上げたいのかと。
家康は「天下は一人の天下にあらず。天下は天下の天下なり」といい、「争いのない太平の世を作りたい」と告げるのだった。
如水は潔く負けを認めるのだった。
黒田家は福岡城を築き、長政にも跡継ぎが誕生していた。
そして、徳川家康は征夷大将軍に就任し、江戸幕府を立ち上げるのだった。
だが、淀君だけは天下を諦めておらぬと、高台院(黒田瞳)は嘆くのだった。
1604年正月、如水は長政と善助を呼び寄せる。
如水は、関が原の戦いのおり九州から天下を夢見たが、それがわずか1日で絶たれたという。それは、ほかならぬ長政の働きによると。
しかし、「如水は立派に黒田家を守った、あれでよかったのだ」といい、あの時自分を越えたと長政を愛でるのだった。
「子に越えられるのは悪いことではない」と。
如水は、自らの死期があと2ヶ月といったところだといい、長政に黒田のこれからを託すのだった。
そして、善助には如水の兜を授けるのだった。
慶長九年(1604)三月二十日、如水自身が予期していたとおり、2ヶ月あまりが経ち黒田如水は皆に看取られながら最期の時を迎えるのだった。
1615年、豊臣と徳川の戦が大詰めを迎えていた。豊臣方には、長政と仲たがいして出奔していた又兵衛が参戦していた。
豊臣方の武将として奮戦する又兵衛であったが、討ち取られてしまう。
長政は又兵衛を死なせてしまった事を悔やむのだった。
そして、豊臣秀頼、淀殿は自ら命を絶ち、豊臣家は滅亡する。
縁側で藤の花を見つめる光(中谷美紀)のところへ長政が立ち寄る。乱世がついに終わったと告げるのだった。
長政が冷えてきたため、羽織るものを捜しにいっていると、光の見つめる先に現れた如水が現れる。
「殿、よく生き抜かれましたなぁ」と光は声をかけるのだった。
感想
奇しくも、如水の天下取りの夢は、息子の黒田長政の働きにより絶たれてしまいました。
とはいえ、わずか4日ほどで九州の大半を占領してしまった訳ですから、関が原の戦いが長引いていたら、情勢はどのようになっていたかは判らないところでした。おそらくは、如水の目論見どおりになっていたかもしれません。
ただ、如水が亡くなったのは関が原の戦いからわずかに4年後という事を考えると、如水の天下は長くは続かなかったとも言えます。
家康が、戦のない世の中を作ると約束した事で、如水も心置きなく晩年を過ごす事が出来ました。
元々、年齢的にも最後の天下取りのチャンスだっただけに、悔いがないといえばどうなのか!?とは思いますが、思い起こせば苦難もあったとはいえ思い通りの人生だったのかもしれません。
徳川家康が豊臣家を滅ぼして天下統一を果たして太平の江戸時代が本格的にはじまったところで物語の幕が閉じられました。
大河ドラマを1年通して観たのは「天地人」以来でしたが、黒田官兵衛の人生と岡田准一の演技力も相まって実に楽しめました。
信長、秀吉、家康の3人もすごくよかったと思いますね。この3人と官兵衛とのやりとりがまたよかったと思います。