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大河ドラマ 軍師官兵衛 40-42話感想

軍師官兵衛

大河ドラマ「軍師官兵衛」の40~42話の感想です。

第40回 「小田原の落日」

あらすじ

いよいよ、小田原城攻めが始まる事となった。

嫡男・鶴松が生まれて大喜びの秀吉(竹中直人)だったが、北政所(黒木瞳)には聚楽亭に移るように言うのだった。

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そして、小田原攻めに際して評定が始まる。その後、官兵衛(岡田准一)は、徳川家康(寺尾聡)に、小田原に攻め入る際に秀吉に城を貸し出すのがいいと助言する。

1月余りで、小田原城を取り囲んだ秀吉軍だったが、なかなか落とせずにいた。官兵衛は、残る武蔵の国の城を攻め落として孤立させるのがいいと助言する。

秀吉は、小早川隆景(鶴見辰吾)の助言もあり、士気を高めるため酒宴を催す。

小田原城の近くに一夜城を築いて北条勢の士気を下げさせた官兵衛は、和睦のしどきと秀吉を説き伏せる。この役目を官兵衛が引き受ける事となる。

小田原城に赴いた官兵衛は北条氏政(伊吹吾郎)を説き伏せるのだった。

ついに小田原城を開場させた官兵衛であったが、秀吉の心変わりにより北条氏政を切腹させるという。さらに、北条の所領は家康に与えるという。

秀吉の独断に苦慮する、官兵衛と利休だった。

感想

ついに、あの第1回のシーンとなりました。小田原城へ赴く、軍師・黒田官兵衛の場面です。

ただ、印象深いシーンではありましたが、この時期の官兵衛は微妙な立場でした。軍師としての立場は変わらないものの、石田三成が権力を強めており、秀吉も素直に意見を聞いてくれないようになっていました。

小田原攻めは、秀吉軍が圧倒的な数の兵力で臨んだ戦でしたが、あっという間に終わってしまった印象です。しかも、今回は官兵衛を中心に描かれている為、伊達政宗らは登場していなくて、少し物足りなさもありました。

北条氏とは和睦のはずが、あっさりと処分する事になり、説得にあたった官兵衛はまたしても約束を破ってしまった形となります。秀吉に翻弄される、官兵衛はまだまだ難しい立場が続きそうです。

第41回 「男たちの覚悟」

あらすじ

関東に移る事になった家康の元に官兵衛が訪れる。天下の為、この移転がよきものにあるよう頼むのだった。家康は、関東で力を蓄える事とした。

官兵衛はおねを介して、秀吉に会い、この期に計画している大陸攻めをやめるように頼むが、逆に秀吉を怒らせてしまう。

病に伏せていた、豊臣秀長の元を訪ねていた官兵衛。秀長は、兄・秀吉の暴走と豊臣家の行末を心配するのだった。

その後、朝鮮よりの使者が訪れていたが、秀吉は朝鮮が忠誠を誓いに来たとおもっている、だが実際には秀吉の天下統一の祝いにきたに過ぎなかった。

事を穏便に済ませるために、浅野幸長がついた嘘だったが、このまま朝鮮に上陸すれば、その場で戦が始まる事になると、官兵衛、利休に助けを求めるのだった。

秀吉を呼び寄せる官兵衛と利休。官兵衛は秀吉を説き伏せようとするが、利休はヒビの入った茶碗にお茶を出す。さらに、朝鮮に攻め入るのは無謀であると説き伏せて、秀吉を怒らせてしまう。

さらに、石田三成(田中圭)が利休に悪いうわさありと秀吉に吹き込む。

程なくして、秀長が死去する。

秀吉を止めるものがまたひとりいなくなり、三成の策謀通りに、利休に切腹を申し渡す事となる。
利休は、切腹を申し渡しにきた使者にまでお茶を振るまい、最期まで秀吉に抗うのだった。

程なくして、鶴松が病にかかり、亡くなってしまう。

悲しみにくれていた秀吉だったが、鶴松を失った秀吉はいよいよ朝鮮に攻め入るべく官兵衛に肥前に城を作るように申し渡す。
官兵衛は無謀と秀吉を諌めるが、秀吉には受け入れられず。朝鮮へ攻め入る準備が始まる。

中津に戻った官兵衛は、肥前の名護屋に城を築く準備を始めるのだった。

感想

もはや、秀吉の暴走が止まりません。ついに、利休にも切腹を申し渡してしまいます。

もう、秀吉に歯止めをかけるものはおらず。官兵衛の意見にも耳を貸さなくなってしまいました。

鶴松が死んだ事で、いよいよ朝鮮への出兵を本格的に始める事となりました。

大河ドラマにおいて、朝鮮出兵をどう描くは難しいところがありますが、多くは今回のように秀吉の暴走として描く事が多いように思います。

第42回 「太閤の野望」

あらすじ

秀吉は、甥の秀次に関白の座を譲り、自らは太閤となる。

そして、宇喜多秀家を総大将として、朝鮮攻めを開始する事となった。
小西行長と加藤清正が先手争いをするが、交互に先手を務めるがいいと官兵衛が助言するのだった。

いよいよ朝鮮出兵が始まる。名護屋城にやってきていた、秀吉に漢城を攻め落としたと報せが入る。だが、報せを聞いた官兵衛は軍を立て直す必要があると自ら朝鮮へ渡る。

現地では兵糧が不足し、疫病が流行り、思わしくない状況。官兵衛は、まずは漢城の守りを固めるべきと助言するが、小西行長は一気に明に攻め込むべきと疾るのだった。

名護屋城に戻った官兵衛だったが、秀吉は大政所が亡くなり大阪へ戻っていた。家康はしばらくは戻って来ないだろうと言う。

朝鮮ではさらに戦況が悪化していた。平壌に明の大軍が押し寄せ、小西行長は命からがら退却してくる有り様だった。

名護屋城に戻った秀吉に、淀から懐妊したと知らされる。大喜びの秀吉だった。官兵衛は秀吉に和睦をするべきと進言する。これを秀吉は快諾する。

漢城に戻った官兵衛は和睦の許しが出たと知らせる。だが、折衝を命じられた小西行長によると、とても明が和睦に応じるような内容ではなかった。
これに対して官兵衛は、申状を見せねばよいと焼き捨ててしまう。

官兵衛は和睦する以上、漢城にとどまる意味はないと、釜山まで兵を引く事を提案するが、三成はこれに反対する。
だが、総大将・宇喜多秀家は官兵衛の案通り釜山まで引く事とした。

三成は、一足先に名護屋に帰ると言い、官兵衛にも動向してもらうよう頼み込むのだった。

だが、名護屋に戻った秀吉は、釜山まで兵を引いた事に怒っていた。さらに、三成の策謀により、碁に夢中になり三成ら奉行衆をないがしろにしたと問い詰められる。

さらに、秀吉に無断で帰国した事を咎められる。秀吉に蟄居を申し付けられてしまう。

この報せを聞いた、朝鮮の黒田の衆にも動揺が走る。

感想

ついに、朝鮮出兵の回となりました。最初は軍勢の勢いで漢城まで落としたものの先が続きません。海を封鎖されて、兵糧も届かず苦戦する事となります。

さらに明軍の参戦で、押し戻されてしまい、官兵衛の和睦案は妥当なものだったでしょう。

三成ら奉行衆は、これに抗う事が出来なかった訳ですが、結果として官兵衛を罠にはめる事に成功します。

ここまでも、幾度と無くピンチにあった官兵衛でしたが、秀吉の怒りは頂点を迎えて最大のピンチとなりました。

これにより、次回から黒田如水が誕生する事となる訳です。

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