1ヶ月ほど前の記事になりますが、カナコロに掲載されていた、地震学者・大木聖子さんの言葉が気になりました。
【時流自流】慶応大准教授・大木聖子さん、「絶対安全」はない:ローカルニュース : ニュース : カナロコ -- 神奈川新聞社
「結局、ぎりぎりまで逃げないんですよ、人は。公式に当てはめて出した答えはリアルじゃない」 ...
個人的には知らなかったのですが、この大木聖子さんという方は、"美人すぎる地震学者"として話題になっていたようです。
今回の記事の中の言葉はすごく重みがあるなぁと感じていました。自分自身が地震学者で、津波が発生したらどうすればいいかという答えはもっていたし、伝えていたはずでした。
ただ、現実には人々は思ったとおり行動してくれるとは限らないものでした。東日本大震災で、多くの方々が津波による溺死でなくなった事は少なからず影響があったようです。
「大変なことをしてしまった。『赤信号は止まれ』を分かりやすく説明しただけ。そんなことは誰でも知っている。なぜ、毎日交通事故が起きるかを考えなくちゃいけなかった」。それが防災と、初めて気がついた。
防災のあり方というのは机上のものだけではないという事です。自分自身の事として考え、その時にどういう行動をとるのかを考える事が大事になります。
危険と安全を黒と白で塗り分けられるはずがない。「この世はグレーのグラデーションだらけです」
何気ない言葉ですが、防災だけにも限った事ではないと思います。何が正しくて、何が間違っているのか!?実際には、白黒簡単に付けられない事がなんと多い事か。(でも、何でも白黒付けたがる人も多いんですが)
「あなたが家具の転倒防止をすれば、娘はそれが当たり前だと思って育つ。結婚しても突っ張り棒を買う。生まれた孫が棚の下で遊んでいるときにたまたま地震が起きるかもしれないけれど、家具を止めていれば助かる可能性が高まります。あなたの行動が子々孫々、命を救うんです。そんな尊い行動を、帰ったら娘さんに教えてあげてください」
防災とは何か!?大事な人を守るためには、まずは自分自身から防災を心がける事だという事でしょう。特別な事ではなく、それが普段の当たり前の事になったときに防災というのが生きてくるのだと思います。