(出典: 阪神神戸大震災 1995 by matanao )
今日で、阪神・淡路大震災から17年が経った。
自分の中の記録を調べたところ、ほとんど出てこない。既にパソコンは所持していたはずだが、当時の思いとか、そういったものは見当たらなかった。
当時、パソコン通信はしていたので、そのログを辿って、いくつか阪神・淡路大震災に関して言及しているものはあったが、自分自身の発言は一切残っていなかった。
ブログ記事にしても、阪神・淡路大震災から10年目だった、7年前に1度だけエントリーをおこしているに過ぎなかったという事に正直驚いた。
自分自身、あの震災に対して何も思う所がなかった訳ではないはずだが、こうして記録が何一つ残っていないと、その当時何を思っていたのか、わからないという事に気づいた。
実際のところ、阪神・淡路大震災は、千葉にいたはずだが、記憶にほとんどない。関東でも震度1程度の揺れはあったはずだが、昨年の震災で敏感になっている今ならいざしらず、あの当時の自分があの時間に気づくはずもなく。
テレビのニュースで知ったくらいだろう。テレビニュースなどで伝え聞くばかりだったが、会社の先輩宅で当時は珍しかったインターネットで、ウェブサイトに掲載されていた写真は衝撃をおぼえたものだ。
当時、社会人2年目の自分は、何も出来なかった。神戸という土地に向かう金もないし、つてもない。ホントに何も出来なかったなという思いがあった。被災地を訪れることもなかった。
それは、昨年の震災のときにも、その時の事が思い出された。だから、なんとしても被災地に足を運ぼうという思いがあった。
もちろん、馴染みのある土地だったこともあるのだが。
先ほど、NHKの特集でもやっていたが、阪神・淡路大震災を経験した人たちが、昨年の東日本大震災の復興に携わっている。自分たちの復興での経験や後悔を伝えようという人達だ。
ただ、昨年の東日本大震災の被災地は広域に及ぶ。こういった支援も、小規模の自治体や地域単位でしか出来ない。つまりは、阪神・淡路大震災での経験が生かせない地域も出てくるだろうという事になる。復興にむけて、いろいろな問題が今も出てるし、住民と自治帯の衝突、復興の遅れ。なにしろ、原発事故は、阪神・淡路大震災にはなかったものだし。
少し前に掲載されていた記事だが、今の日本は貞観地震のあった9世紀に酷似しているというものだ。
貞観地震の前年に兵庫県付近で播磨地震がはっせい、さらに後に南海地震も発生。各地で地震もおきていた。
つまりは、わずか10数年の間におこった、阪神・淡路大震災と東日本大震災だけでなく、この後も大きな震災が起きる可能性があるという事。数年後か、10数年後かわからないが、東海地震か、連動型の東南海・南海地震になるのかもしれないが・・・。
阪神・淡路大震災での経験が全て、東日本大震災での復興に役立てるかどうかわからないが、成功も失敗も来るべき大震災では役に立つはずと思いたい。