南相馬市へ向かった目的のひとつは、災害ボランティアに参加する事。
被災地という意味では、もっとひどいところもあるが、中々人が集まりにくいという話も聞いていたので、今の南相馬市の状況を目にしておきたいというのもあった。
朝、予定よりも支度に時間がかかってしまったが、南相馬ボランティアセンターへ向かった。
ここのボランティアセンターでは、初回の受付者と2回目以降の人で分かれて、2回目以降の人が先にニーズに対しての希望を出す。
結果、初回の人たちは、泥だしなどの作業はあまりやる事はないという状況のようだ。
何をやったかと言えば、津波で泥を被ったアルバムから写真を取り出し、泥を落として選別するという作業だ。
自分は8人グループで、リーダーさんは地元の原町区の方。その他は、埼玉からきた団体さんだ。
アルバムの中は、水のつかり具合や、泥のつき具合でまったく写真の保存状態が違っていた。
やはり泥水に浸かってしまったものは、写真自体が痛んで、何が写っていたかわからない状態だ。泥が被ってないものは、濡れてはいても、写真自体の状態はいい。
自分が担当したものは、泥つきのものばかり。泥は既に乾いているが、写真の表面はこすりすぎると消えてしまうので、加減が難しい。それに、泥水で色が滲んで何が写ってたのか不明なものばかりだ。
子供の写真、家族の写真ってのは、持ち主の人が無事でいることを祈るばかりだ。
この写真の整理をしている場所で、既に整理された写真も展示されていて被災者の方に公開されている。
ネガが見つかったものは、プリントされて展示されている。泥につかった写真よりこちらの方がきれいな場合が多い。
リーダーの方は、地元原町区の人だが、話によるとやはり原発事故の影響で人が外に流出してしまっているのが大きいという。7月末をめどに市外に避難されている人を呼び寄せようという話になっているらしい。そのために、市内に仮設住宅を用意するようにもすすめているそうだ。
ボランティアのニーズにしても、泥だしやガレキ撤去の依頼は少ないそうだ。被災者の方が市外に避難してしまっている為、実際には必要であっても要請がこないそうだ。
そもそも、原発事故の影響で、ボラセン自体の立ち上げも他のところより遅かったそうだ。
ここでは、午前午後通して同じ場所で、作業をする。お昼もその場で食べる。
ボラセンには、1日の作業が終わってから、名札入れを返しにいくだけだ。
16時に終了予定だったが、片付けやボラセンへ帰るのが遅くなり、16時半を回っての終了となった。
肉体労働ではなかったので、その足で一路、岩手県の一関市を目指すことにした。翌日の行動拠点になるので、前の日に移動しておく。
その前に、この日は室内作業だけだったので、一度海側の方を観に行ってみた。途中まではなんでもない状態の街並みに突然半壊・全壊した住宅があらわれたかと思えば、その先は何もないような状態だった。
もっとも、やはりここも元々住宅街ではなかったのかもしれない。ただ、奥の方にものすごいガレキの山があったのは覚えている。結局、途中まで行って引き返して、北へ進路をとった。
最後に南相馬市の状況だが、基本的には平静を保っている状態。コンビニが24時間営業じゃないところもあったりするが、イオンなどのスーパーも普通に営業していた。それこそホントに普通に。お客さんもみんな普通に生活している感じだった。
もちろん、原発事故の影響で内心穏やかじゃないのかもしれないが、物資自体はほぼ普通に出回っているので正常なように見える。ほかの津波被害地域と同じく、被害は受けてはいるが、それ以外の場所に関しては南相馬は至って普通であった。
主にR6を通っていったが、やはり海側に近いこともあってが、ところどころ道路が傷んでいる箇所があった。ガードレールが崩壊して仮のものがおかれているところもあった。
途中、宮城県入りしてからは、道路沿いがガレキ置き場になっている箇所もあったが、そのすぐ近くを女子高生が普通に歩いて通っている画は、なかなかシュールだ。
途中から、常磐道→仙台東道路を使って、仙台南部道路で東北道へ。宮城県辺りの東北道は、アップダウンもカーブも多く、夜間の運転は神経を使う。おまけに時折雨も降ってきて疲れた。
20時半ころには一関に到着。この日は、漫画喫茶で一泊することにしていたが、その前に晩御飯。近くのびっくりドンキーで夕食にした。
自遊空間一関店で、9時間パックにした。もうちょっと、遅い時間ならナイトパックにできたが、どっか行く気もおきないしさっさと店にはいって休みたかったし。
起きてる間は気にならなかったが、ここはダーツやビリヤード、カラオケも併設されているので、若者が多く意外とうるさい。さすがに、ぐっすりと爆睡できる感じじゃなかった。
思えば、17日の夜は平塚にいたはずが、南相馬、一関と毎日いる場所が違うというのもすごいな。