このブログを更新するタイミングがないまましばらく間が空いてしまいました。
まさか、次の更新タイミングがこんな事になるなんて思ってもみなかった。
3/11 14:46頃 観測史上最大の地震が宮城県沖で発生しました。
最大震度は震度7。震度6強~6弱が宮城、岩手、福島、茨城と千葉の一部。首都圏も震度5のところがほとんでした。
地震があったとき、職場でミーティング中でした。先日も宮城県沖で地震があって、また余震かと思ったらだんだんと揺れは大きくなる一方。しかも、長い時間揺れていました。
さすがに、ミーティングスペースにあった机の下に逃げ込みました。
19F建てのビルの8Fでしたが、免震構造って事で建物自体は心配してなかったんですが・・・。状況確認の為、一旦ミーティングは中断。ちょろっとTwitterのTLを確認したら宮城県で震度7という文字が。ちょっと、これには動揺。
ミーティングは再開されたものの気はそぞろ。ビル自体も避難階段の壁の一部が剥がれ落ちたり、エレベーターも使用不能になりました。
とりあえず、何も出来ないので仕事してましたが、どうにも仕事が手につかない。
ワンセグで映像を確認したら、都内で火の手が上がったりと、早くも影響が出始めている。もちろん、鉄道は全線ストップです。もちろん、こんなのは、この後知る自体からすれば、ほんの序の口だった訳ですが。
東海地震など、来るべく大地震が来たとき、どこに居るのが自分にとってベストかというと、職場が一番安全なんですね。次が自宅で、一番危ういのは通勤中でしょう。
鉄道が止まってしまったので、歩いて帰れる距離でもないので、その時点で泊まりは覚悟していました。何より、あの大きな地震を一番安全な場所にいるときにおきたのは自分にとってはとてもラッキーだったと思います。
その後も、強い余震が何度かあって、やっぱり仕事が手につかない。
とりあえず、気になるところに安否確認のメールを送ったり、忘れた頃に思い出して、auの災害用掲示板に安否を書き込んだりしてました。
津波警報が出るのは当然だと思ってましたが、その予想される波の高さをみてまた驚いてしまいました。現地では、停電などで状況が把握できてない人が多いとも思われ心配でしたが・・・、事態は最悪の方向へ。
帰れないのは確実だったので、周辺のホテルを探したら全部満室。週末だったからか、地震で急遽取ったのかはわからないけど、ホテル泊の線はここで消滅。満喫に泊まってもいいやと思ったけれど、みんな考える事はいっしょだろうし、こんななときに満喫に空きの確認をしてる場合でもない。
定時を回って、歩きで帰れる人は徐々に帰宅を開始。車の手配などが出来る人は車で帰る事を検討し始めてました。
その一方で、もう帰ることを諦めた人達の一部が酒を買い込んで、宴会を始める始末。
まぁ、あの状況では、何も出来る事もなくて、一晩明かさなければならない訳だから気持ちはわからないでもなかったけれど、自分としては心象的に酒飲める状態じゃなかった。
ワンセグや、ネットで被害状況が次々に明るみになる。予想されたとおりか、それ以上の被害。まだまだ、夜は長いし、ネットをみてると心配でしょうがなくなるので、また仕事を再開して気を紛らす。でも、結局、仕事を続けてもなかなか集中できなくて途中でやめてしまった。
テレビのニュース映像で、「仙台で200~300人の水死体」とみて、あ然とする。
津波に飲まれた人らしい。その後も、各地で津波で飲まれた人たちが海岸にたくさんとの報道。
その後も、「気仙沼港が火の海」のニュースに愕然とする。
市街地が広範囲に火災に見舞われている宮城県気仙沼市の状況について、朝日新聞気仙沼支局の掛園勝二郎支局長は、東京本社に次のような報告を寄せた。
午後5時半すぎ、気仙沼港口にある漁船用燃料タンクが津波に倒され、火が出た。その火が漂流物に次々に燃え移っている。さらに、波が押し寄せるたびに、燃え移った漂流物が街の中に入り、民家に延焼している。
周辺は暗くなっているが、一面、真っ黒な煙と炎が覆っている。あちこちで火が上がり、『バーン、バーン』という爆発音もあちこちで聞こえる。気仙沼市街地北側で火柱が3本見える」
さらに極めつけは、英メール紙の画像だ。
http://www.dailymail.co.uk/news/article-1365318/Japan-earthquake-tsunami-The-moment-mother-nature-engulfed-nation.html
言葉を失うとはこういう事とか思った。
呑んでる連中が騒がしくてなかなか寝れなかったが、最終的に3時前まで起きてて仮眠を取る。
起きたら、外が白んで来ていた。起きて、交通情報を確認する。
JR線は7時から回復との情報。止まったままだった、京急も復帰。昨夜のうちに、横浜市営地下鉄も動いていた。
JR線が動いてもすぐには乗れないだろうと思ってはいたが、取り敢えず帰宅開始。
横浜市営地下鉄は、それほど混雑もなく横浜まで到着。東急で品川まで出る予定だったが、途中で行き先変更。京急川崎止まりになってしまい、乗り継いでなんとか品川まで移動。もう、JRは運転再開しているようだが、改札口はものすごい混雑だし、諦めて都営浅草線の泉岳寺駅まで徒歩で向かうことにした。
8時過ぎに泉岳寺駅についたが、改札口から溢れている。放送では40分待ちとか。こりゃ、ダメだと思い、徒歩で一気に先まで進む事を決断。泉岳寺駅から東西線の日本橋駅まで歩いてみることにした。まぁ、JR駅にしようかと思ったが、メトロは昨夜から運転再開していたし・・・、という甘い見込みだったんだが。
結果的には、東西線も激混みだった。もっとも、JRも混んでいたので、どっちもどっちだったかもしれない。
歩きに歩いて、品川駅から7.3km。9時40分を回った頃にようやく日本橋駅に到着。
さすがに、途中歩くのが疲れたし、腰も痛くなってきたし、嫌になったけど。でも、こんなのなんでもない。歩いて帰れるなら、どうって事ないんだからという思いで歩いていた。
満員で乗れなくて、3本くらい電車を待った。乗ったら乗ったでギュウギュウ詰め。終点の西船橋駅を間近にして、妙典駅と原木中山駅で足止めを食う。
結局、西船橋に着いたのは、11時を回ってからだ。
JRの方も動いてはいたが、満員電車が到着するばかりで、ようやく3本目くらいで無理やり乗り込みました。そっからさきは、ギュウギュウ詰めだって事を除けば至って順調。11時50分頃に、津田沼に帰ってきました。
とりあえず、食料も心配だったし、お腹も減ったので西友で食料を買い込んでから帰宅しました。
帰ってきて、家の中どうなってるだろうと思ったけど、思ったより大丈夫だった。
台所、キッチンまわりはまったく問題なし。寝室は、上の方に置いてた軽めのものが落ちて散乱してたけど、軽いものだしまったく問題なし。居室の方はテレビの上に乗せてた時計とかが落ちてたけど、こちらもさして問題なし。
水道は問題なく使えたし、ガスはとまってたけど、再始動出来て使えたのでこれも問題なし。ようやく、お昼ご飯にありつけました。
落ち着いてから、ニュースなどを確認しようかとも思ったけれど、体を回復させる事を優先して少し横になって寝ました。
これから、いろいろと状況を確認しますが、被害状況は最悪であろうと思われ気がめいります。
田舎(青森県)の姉とはメール連絡が早々に取れてたんですが、向こうは揺れは大した事はなかったけど、停電中らしいです。秋田も同様で、いまも停電中で、寒さを凌ぐのが大変そうです。
昨日から、今日にかけてのツイートはこちらから。
2011/03/11
2011/03/12
千葉に住んで、既に18年になろうとしてますが、今でも自分は青森県人だと思ってるし東北人です。それに、仙台には丸3年住んでいた思い入れのある土地。連絡はとってないけれど、知り合いもいるし、知人の中にも実家が宮城、福島という人もいる。
自分の状況が落ち着いてからは、どうにも心配にならない。関係ない人でも、安否確認が取れたとなるとうれしい。
そういえば、あのサンドウィッチマンは、気仙沼でロケ中だったとか。しかも、海沿いで。
迅速な判断で、山の方に移動した事で津波からは逃れたようです。
地震|サンドウィッチマン 富澤たけしオフィシャルブログ「名前だけでも覚えて帰ってください」Powered by Ameba
避難しています|サンドウィッチマン 伊達みきおオフィシャルブログ「もういいぜ!」by Ameba
その後の状況をブログで書いてますが、まさに九死に一生でしたね。
とりあえず、近況はここまで。