「西郷どん」 登場人物その後
大河ドラマ「西郷どん」が終了しましたが、その登場人物がその後どうなったのかをまとめてみたいと思います。
明治編以降に出てきた人物まで含めると多くなるので、西郷隆盛と親しかった人たちのみにしました。
すべてWikipedia調べなので、それ以上の情報はほぼありません。
岩倉具視
西南戦争後の岩倉は憲法制定に向けて動き出す。明治十四年の政変の末に伊藤博文がヨーロッパへ視察へ向かっていた。岩倉は明治十六年に喉頭癌の症状が出始め、大日本帝国憲法の制定を見る前に亡くなっている。
岩倉具視と言えば500円札のイメージがあるのですがね。西郷たちと共に明治の世を築いたという功績を考えれば当然なのでしょうね。
西郷従道
西南戦争後、参議、陸軍卿をつとめ、後の内閣発足後は海軍大臣となる。海軍大将になったのちに侯爵となる。内閣総理大臣に推された事もあったが、兄・隆盛が逆賊の汚名を浴びた事で辞退し続けた。明治35年胃癌のために亡くなる。
西郷隆盛が大西郷と呼ばれたのに対して、小西郷と呼ばれていた。その後の足跡などをみると兄・西郷隆盛に代わって明治政府で要職を務めていったという事になります。肖像画の西郷隆盛は、この西郷従道を参考に描かれたともされています。
島津久光
西南戦争以前から島津家の史書の著作・編纂に専念していた。10年後の明治20年まで生きており、死後は国葬となっている。
国父・久光は、西郷の死をどのように見ていたのか。明治の世になっても最期まで髷を切らず、和装・帯刀していたと伝わっています。
愛加那
愛加那はその後も奄美で暮らし、明治35年に亡くなっている。隆盛の死をどの時点で知ったかは不明だが、息子の菊次郎が何度か奄美を訪れているので、どこかの段階で知ってはいたと思われます。最後は農作業中に倒れて、そのまま息を引き取ったようです。
西郷糸
西南戦争後も鹿児島に残り西郷家を切り盛りしたようです。明治29年より東京で暮らし始めたようです。西郷どん第1話での銅像除幕式は明治31年なので、その頃には東京に移住していたようです。
大正11年に亡くなっているので、かなり長生きした事になります。
西郷菊次郎
西南戦争後に外務省に入り、その後再びアメリカに留学。日清戦争後に、台湾の支庁長になっています。この頃、奄美に立ち寄って、母・愛加那とも再会していたようです。その後、西郷どんにもあったように京都市長に任命されていました。西南戦争時に切断した足の影響もあって6年半で辞任しています。
その後は、鹿児島に帰郷しており、昭和3年に亡くなっています。西郷隆盛に関わった人の中ではかなり後まで生きています。
西郷寅太郎
西南戦争後、ドイツに留学し帰国後には陸軍少尉となっています。父・隆盛が逆賊の汚名が晴らされて後に華族に列せられます。大正期には、東京及び習志野で俘虜収容所所長になっています。習志野俘虜収容所時代はかなり自由が認められていたようで、この収容所で作られ「ソーセージ発祥の地」とされているようです(実際には、それ以前にもソーセージは作られていましたが)。
大正8年にスペイン風邪による肺炎で亡くなっています。母・糸よりも先に亡くなっているのですね。
なお、弟の午次郎は、昭和10年まで生きています。寅太郎亡き後、母・糸や寅太郎の息子たちを引き取ったようです。3男の酉三は結核のため明治36年に亡くなっています。
川口雪篷
雪篷は、その後も西郷家で暮らしていたようです。明治22年、西郷隆盛が逆賊の汚名を晴らされた翌年の明治23年に亡くなっています。死後は西郷家の墓地に埋葬されたようなので、ほぼ西郷家の人たちと家族同然だったという事でしょうね。
熊吉
鹿児島で西郷家に仕えた後に、明治19年に西郷従道に呼ばれて上京し西郷邸の管理などをしていたようです。明治33年に亡くなっています。
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