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大河ドラマ 真田丸 第36回 「勝負」 感想



真田丸

大河ドラマ「真田丸」の第36回の感想です。

第36回 「勝負」

あらすじ

信繁(堺雅人)たちは上田に引き返す事になる。半数の兵を率いて上田に戻り。残りの兵も続いて戻るというのだ。
そして、信幸(大泉洋)は、このまま徳川につくという事も伝えられた。
そして、家康(内野聖陽)の元にも毛利輝元(浅地直樹)が挙兵。さらに、宇喜多秀家(高橋和也)が伏見城攻めを始めた事が知らされる。

正純(伊東孝明)は、裏で糸を引いているのが三成(山本耕史)だと気づく。
家康は、急遽軍議を開くことを決めるのであった。

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そして、7月24日信幸は、昌幸(草刈正雄)が人を引き払い上田に戻った事を家康に知らせる。徳川の命には従わぬとの意思を示す。
なぜ残ったかと聞かれた信幸は、舅が本多忠勝(藤岡弘、)であり、義理の父親が家康だからだと答えるのであった。
忠勝の助けも有り、信幸は忠義者だと家康から許されるのだった。

家康は、大坂へ引き返して、奸賊・石田三成を討ち果たす事を宣言する。
人質を取られているものもいるだろうと、戦いに参加しないものは立ち去れという家康。
だが、福島 正則(深水元基)や、細川忠興は、三成征伐に加わるとし、信幸もこれに加わる。

昌幸たちは、沼田近くでで休息をとる、昌幸らの元に大坂より、寧(鈴木京香)とこうが逃げ延びてきていた。2人の息子たちとともに。
信繁は、信幸が徳川に残った事とし、敵と味方にわかれた事を知らせるのだった。
稲は、沼田に先に戻り支度をせなばならぬとし先に沼田城に向かう。

だが、沼田城に着いた昌幸たちに対して、稲が武者姿になって立ちふさがるのだった。
昌幸が、話し始めるのをよそに、弓を向ける兵たち。昌幸たちは、沼田城を離れるのだった。
昌幸たちは7月27日に、上田城に入る。会津征伐に向かった徳川勢はいずれ引き返してくるとし、これを向かう討つ事とする。
敵方に信幸がいる事もしらせる昌幸。情けは無用と言いながらも、多少は気にかけろと言うのだった。

その頃、信幸は、宇都宮に向かった秀忠(星野源)の先鋒として上田を攻めるように家康から命を受けていた。
信幸は、沼田城へと入る。上田では、三成より書状が届き、小諸などは切り取り次第領地にしてよいとあった。
この際だからだと、昌幸は甲斐、信濃2カ国をもらうと三成に返答するのだった。

秀忠軍は上田へと向かった。これをみて、景勝(遠藤憲一)は秀忠を討とうとするが、兼続(村上新悟)は伊達や最上もいるとして引き止める。
出て行くのは、石田勢と徳川勢がぶつかってから言い、北国を固め、越後を取り戻したのちに攻め込もうと言う。

正信(近藤正臣)は、前の戦で神川の堰が切られて退路を絶たれたとし、先に堰を切っておくことにする。
昌幸は、これを聞き思案するのだった。

秀忠の陣に、昌幸より書状が届く。なんと、降伏を申し入れて来たというのだ。
そして、使者として信繁が訪れるのだった。信繁は、城は明け渡すとし、兵は皆城から帰す。昌幸の命は取らぬと約束される事、城はいずれ返してもらうとし、本領は安堵、昌幸を家康の家臣として丁重に扱ってもらうと書状を読み上げる。
信幸は、時を稼ぐためだとし、これに怒った秀忠も上田を攻める事を宣言するのだった。

秀忠軍は染屋原に陣を敷く。信幸とは戦いたくないという昌幸に、信繁は策があるという。
信繁は戸石城に向かうとし、信幸と図って一芝居打つというのだ。兄・信幸が攻め、自分が守るとし。
ある時がきたら、内通者がいるとし城門を開く。そして、雪崩れ込んできたところで、自らは退き城は信幸のものとなると。

正信は、まずは刈田だとし、敵の兵糧を奪い自分たちのものとするとし、その上で敵を囲みじわりじわりと攻めると。
前回の戦で伏兵を忍ばせていた戸石城を落とすとする。信幸は、その役目を買って出る。
戸石城には内通者がいるとし、信幸は戸石城攻めを認めさせるのだった。

戸石城に向かった信幸。その前に立ちふさがるは信繁であった。信繁の号令で鉄砲隊が弾を放つ。
しばし攻め合った後に城門を開かせる。そこへ雪崩れ込む信幸軍。信繁はそのまま撤退をし始める。
戸石城は信幸のものとなる。信幸は、これ以降戸石城より一歩も動かなかった。徳川勢が上田を攻めている間、真田同士がぶつかる事はなかった。

昌幸は、徳川方には正信がいるとし、やみくもに攻めては来ないだろうとする。そこで、先に打って出ることにする。
陣を一つずつ潰していくする。信繁に小競り合いに出てすぐに引き返せて命を下す。さらに、茂誠には敵の兵糧を奪えとする。信繁、茂誠は、着々と作戦を実行に移す。

小競り合いが続く状況に秀忠は焦る。一気に攻め込んではという秀忠に、焦った方が負けだと正信が諌める。
そして、本降りの雨が降り始める。正信は、昌幸が時を稼いでいた訳を理解する。神川が増水し退路が絶たれたのだった。

昌幸は、正面から切って出ると見せかけて、信繁に兵500を率いさせて、本陣の裏を突けとする。秀忠の首を取れと。
秀忠は、正信の静止を聞き入れずに、一気に正面から攻め込む事を決断する。そこに家康より使者が現れる。

秀忠の本陣の裏に回りこんだ信繁たち。だが、徳川の旗は見えたものの兵たちの姿が見えなかった。なんと、秀忠軍は上田を引き払っていたのだった。
そして、福島正則が、岐阜城を落として一気に緊張が高まる。家康は、秀忠に合流を急がせたのだった。

9月15日、石田三成率いる8万の軍勢は、関が原に人を張った。対する、家康軍は9万。天下分け目の戦いが始まろうとしていた。

上田にて勝利の酒宴を開いていた昌幸たち。そこに、佐助(藤井隆)が戻ってくる。
関ヶ原にて、石田軍と徳川軍がぶつかったと知らされる。そして、その戦は昼過ぎには勝敗が決したと。
家康軍の大勝利に終わったとし、吉継(片岡愛之助)は討ち死にし、三成(山本耕史)は行方知れずとなったと知らされるのだった。

感想

関ヶ原本戦を前にしての第二次上田合戦とあいなりました。見事に、正信を出しぬいて、信幸との戦を避ける事に成功します。

さらに、秀忠を手玉にとって追い詰める事に成功する訳ですが…。まさか、まさかの、関ヶ原の戦い本戦があっという間に勝負を決してしまいました。

まあ、確かに上田合戦だけでも、これだけの日数をかけていた割には、関ヶ原の戦いは半日で勝負を決してしまいましたからね。

昌幸からしたら、戦に勝って勝負で負けたという事になります。徳川方に勝利しながらも軍門に降るという辛い立場となりました。

石田三成と、大谷吉継の最後は、来週触れられるようですが、関ヶ原の戦いがどの程度描かれるのはわかりません。

昌幸と信繁は、この後九度山に蟄居となる訳です。しかし、大阪冬の陣が残っているとはいえ、まだ9月。この先、どのような話が描かれるのか。

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